長野観光⑦~川中島古戦場跡~

上杉謙信と武田信玄が激闘を繰り広げた川中島古戰場跡に行ってきました

川中島古戦場跡とは?

越後国の「上杉謙信」率いる上杉軍と、甲斐国の武将「武田信玄」率いる武田軍が激突した「川中島の戦い」が繰り広げられた場所です。長野旅行の際には是非行ってみたいと思っていたので、念願叶って非常に嬉しかったです。

古戦場跡は「川中島古戦場史跡公園」となっていて、緑豊かな公園としてリラックスできます。公園内には長野市立博物館や八幡社があります。

なぜ川中島で合戦が行われたかについては諸説ありますが、この川中島が千曲川と犀川という大きな川が交わる交通の要所だったことが大きな理由だそうです。

また、善光寺が比較的比較にあるのですが、この戦いによる戦火が及ぶことを心配した武田信玄が甲斐国に御本尊善光寺如来像等を奉遷しました。このことから「甲斐善光寺」が誕生したと言われています。

騎馬に乗った上杉謙信と椅子に座って扇で刀を受ける武田信玄の一騎打ちのシーンが有名ですね

長野市のどのあたりにあるの?

長野ICに近く、前回ご紹介した「おやきファーム」と同じ通りにあります。

同じ敷地内には市立博物館がありますので、古戦場跡を巡ったあとに博物館でこの戦いにまつわる展示物を鑑賞することもできます。

おやきファームのご紹介はこちら→https://lay-code.com/post-839/

銅像以外の見どころ①三太刀七太刀之跡の碑

謙信と信玄が一騎打ちした場所と言われています。謙信が三度斬りつけ、受けた信玄の軍配団扇に七つの傷があったようです。

敵本陣に斬り込むような状況だったので、相当に敵味方が入り乱れた乱戦だったのでしょう・・・

銅像以外の見どころ②首塚

解説板にあるように、首塚の前は屍塚と言われていたそうです。川中島の戦いでは両軍に相当数の死者が出たため、武田方の武将が敵味方関係なく手厚く葬った場所です。これを知った謙信が信玄にお礼として塩を送ったことから、かの有名な「敵に塩を送る」という言葉が生まれたようです。この首塚がきっかけで生まれた言葉だとは知りませんでした。

敵味方なく弔うとはあっぱれです
少しライトに聞こえるかもしれませんが、一種の「ノーサイド」のようなものでしょうか

公園は落ち着いて良い雰囲気でした

行った日は朝も早く平日だったためか人もまばらでした。(当然ですが・・・)

暖かい時期の土日はお弁当を持った人たちで賑わう癒やしの公園になるのかなと思いました。敷地内も広く、レジャーシートを広げたくなります。

石碑の片方に越後国「上杉謙信」
もう片方に甲斐国「武田信玄」とあります

かっこいいご朱印をいただけます

敷地内には「川中島古戦場八幡社」がありますので、古戦場跡に行った際はまずはお参りをしましょう。

そしてここでは素敵なご朱印をいただくことができます。

左が通常のご朱印、右が竜虎のイラストが入ったご朱印です。

右のスペシャルなご朱印は長女の許可を得て撮影しました(笑)

今回はご朱印だけいただきました、御朱印帳もすっごくかっこいいデザインでした!

まとめ

今回は川中島古戦場跡のご紹介でしたが、いかがだったでしょうか?かつては教科書にも載っていた「川中島の戦い」を感じられる名所なので、少しでも日本史にご興味がある方は訪れて損はないと思います。前回ご紹介したおやきファームで買ったおやきを食べてのんびりするのも良いですね。歴史に思いを馳せながらご当地名物をいただくことで長野観光を十分に盛り上げてくれるでしょう。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。