山梨観光③~北口本宮冨士浅間神社~

浅間神社つながりで、新倉冨士浅間神社の後に北口本宮冨士浅間神社にお参りをしてきました。

北口本宮冨士浅間神社

御祭神は前回ご紹介した新倉富士浅間神社と同じ、御祭神は木花咲耶姫命 (このはなさくやひめのみこと)、大山祗命 (おおやまづみのみこと)、瓊瓊杵尊 (ににぎのみこと)です。

歴史は新倉富士浅間神社よりも古く、1900年以上前まで遡ります。日本武尊(やまとたけるのみこと)が箱根足柄から酒折に向かう途中、現在の北口本宮冨士浅間神社の場所を通過し、現在も残る大塚丘から富士山を御遥拝して大鳥居を建てたことから始まります。788年には大塚丘に日本武尊の神霊を祀り、1733年には幣殿、拝殿、神楽殿、手水舎、随神門が造営されました。

北口本宮冨士浅間神社のHPはこちら→https://www.sengenjinja.jp/

随神門は国指定重要文化財です
うっすら昔の絵が見て取れます。歴史を非常に感じます
随神門の全容です。字や絵が歴史とともに褪せていますがそれが非常に魅力的でした

北口本宮冨士浅間神社へのアクセス

鉄道の場合は、富士急行の富士山駅が最寄り駅になりますが、少し距離があるのでタクシーで向かうのがベストでしょう。車で行く場合は河口湖ICが最寄りのICになります。

前回ご紹介した新倉富士浅間神社からは車で15分程度の距離になります。

樹齢1000年の立派な杉と桧が参拝者を出迎えてくれます

立派な拝殿の前には冨士太郎杉(県指定天然記念物)と冨士夫婦桧(市指定天然記念物)が参拝者を出迎えてくれます。樹齢が1000年ありますので、当地の歴史の生き証人ですね!

山梨県に大きな浅間神社が多い理由

理由はなんと国交省が解説してくれています!

浅間神社は富士山をご神体として、小高い丘の上から霊峰・富士を遥拝する信仰から生まれました。どうして浅間神社と呼ばれるようになったのかは、諸説、伝えられています。どの説も古くは「浅間」を「せんげん」ではなく、「あさま」と読んだことに由来があるようです。
 たとえば伊勢の朝熊社の社名が元とするもの。あるいは、早朝の富士宮の湧玉池の水面から霧が立ち上り、朝雲と名づけたものが転じたとするものなどがあります。
 その中でも有力視されているのは、「祠林采葉抄」に残されている「富士の権現は、信濃の国の浅間大神と一体両座・・・両者ともに浅間大菩薩と申す故なり」の記述。そして「あさま」の意は、マライ語のアサ(煙)からきているのではないか、とする説です。この「あさま」=「浅間」を、「せんげん」と音読みするようになり、現在に至っています。

国交省 中部地方整備局 富士砂防事務所HPより

また、日本書紀に現れる浅間神(浅間さま)を木花咲耶姫命 (このはなさくやひめのみこと)として御祭神していることも共通しています。

北口本宮冨士浅間神社の御朱印

新倉冨士浅間神社に続いて北口本宮冨士浅間神社でも御朱印をいただきました。こちらでは書き置きではなく、直接御朱印に記載いただくことも可能です。

まとめ

前回に引き続き浅間神社をご紹介させていただきました。名前に同じ浅間神社とついていても、歴史は様々です。もし、山梨にご旅行に行かれる際は浅間神社巡りもプランに加えてみてはいかがでしょうか?きっと神社それぞれの良さを発見することができると思います!

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

拝殿も立派でした。木々に囲まれた神社で、地元の方が多かったのが印象的でした