越後国一宮「彌彦神社」

元号が変わった2019年以来の彌彦神社への参拝に行ってきました。

彌彦神社とは

御祭神は天照大御神の曾孫にあたる「天香山命(アメノカゴヤマノミコト)」です。当然、古事記にも登場しますので少しご紹介します。

初代天皇となる神武天皇が国の平定のため東征をしていました。その途中、熊野で相手の毒気によって神武天皇の軍団が昏睡してしまうのですが、この窮地を救ったのが天香山命と言われています。

天照大御神と武甕槌命(タケミカヅチノカミ・鹿島神宮の御祭神で超有名)が「この剣を神武天皇に献上せよ」と天香山命にその窮地を救うように命じます。天香山命はその通りに神武天皇に剣を献上し、神武天皇はその霊剣のおかげで窮地を脱しその後も東征を続ける・・・というお語です。

このときの天香山は別名「高倉下」で登場します。(なぜに別名かまでは私にはわかりません。ごめんなさい)

なので、天香山は初代天皇を救った救世主ともいえます。

その後、無事に大和国平定を果たした神武天皇から越の国(福井から山形の一部の日本海側)の平定、開拓を命じられたそうです。まさに「ご当地の神様」というべき御祭神を祀っているのです。

彌彦神社の公式HPはこちらです→https://www.yahiko-jinjya.or.jp/

立派な拝殿です。御朱印帳もかっこよかった・・・・

弥彦神社へのアクセス

彌彦神社に行くには、電車の場合は弥彦線の終点「弥彦駅」から徒歩15分ほど、車の場合は、三条燕ICが最寄りのICとなり、ICから約30分くらいの距離です。

彌彦神社の歴史

彌彦神社の歴史は古く、創建から約2400年以上と言われています。西暦にすれば紀元前ですので、その偉大さがよくわかります。どの時代でも非常に格式高い神社として扱われ、鎌倉時代では源頼朝が、戦国時代では当然ながら上杉家が、江戸時代では徳川各将軍から寄進などを受けています。ただ、明治時代には門前町が火元の大火に巻き込まれ、本殿を含めた社殿が消失したようです。現在の社殿はそれ以降の建築ということですね。

数年前は「糸魚川大規模火災」が起きていますが、一度火が着いて風向き等の条件が重なると、手がつけられないほど早く飛び火してしまったのでしょうか・・・。家庭での失火は「うっかり」が原因ですので気をつけたいものです。

ただ、やはり「越後国一宮」というべきでしょうか。この大火を知った国内外から復興への寄付が集まり、消失前よりも立派な社殿が再建できたそうです。

一の鳥居のすぐ近くには明治天皇がお泊りになった行在所跡があります
一の鳥居です

心が落ち着く境内です

我が家は彌彦神社に行く際は常に車なので、一の鳥居をくぐらずに参拝するのですが、二の鳥居をくぐると神聖な場所に足を踏み入れた気分になります。(実際神域にお邪魔しているので当然なのですが・・・)

途中に「重軽の石」や「某神社」があったのですが、参道の木陰の涼しさに満足してしまいすっかり忘れてしまいました。次回への楽しみとして取っておきます!

二の鳥居です。奥に随神門が見えます
猛暑日でしたが、めちゃくちゃ涼しい参道でした
随神門です。奥に拝殿は覗けます。この眺めは個人的に結構好きです

時間があれば弥彦山ロープウェイで展望を

拝殿の写真を見てお気づきの方もいるかと思いますが、背後にそびえる弥彦山にロープウェイで手軽に登ることができます。そこからの展望が非常に良いらしく、参拝に行くたびに気になっています(笑)

今度は弥彦エリアを一日満喫する計画を立てて、私も登ってみたいと思います。

「もみじ谷」というスポットもあり、紅葉の時期が良さそうです

まとめ

彌彦神社は非常に歴史が深く、同じく全国区の「武蔵国一宮 氷川神社」に近い創建です。(氷川神社が第五代孝昭天皇の御代、彌彦神社が第六代孝安天皇の御代です)それだけこの国の歴史と関わりがあり、宮中だけでなく地元の方々との結びつきも深いのでしょう。

今回は新潟に来たなら一度は立ち寄りたい「越後国一宮 彌彦神社」をご紹介しました。電車でも車でのアクセスに困らないので、寺泊観光などと同じ日に参拝されてみてはいかがでしょうか。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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